根性論が嫌いな訳ではありませんが、全ての物事が根性論でどうにかなると思ってはいません。
どうも、"だいすけ"です!(daisuke)
はてな
- 根性論って根拠がないから嫌い。
- 自分には根性論って本当時代遅れで合わないんだけど。
このような事で悩んでいませんか?
結論を言ってしまうと、気持ちで負けてはいけないという部分に置いては根性論は必要かもしれませんが、実際に人によって得て増えてがある以上全ての物事を根性論で解決する事は不可能だと思っています。
そもそも、根性論ってなんぞや?と思う人もいるかもしれませんが、根性論というのは根性があれば何とかなるといった精神ですね。
勿論、単純作業だったり、マンパワーのような仕事であれば、根性論でどうにでもなる事も確かにあります。
しかし、多くの物事はもっと複雑ですし、人によって得意不得意がある以上どうしても、根性論だけでは片付けられない事の方が多いです。
極論を言ってしまえば、根性論で何となかると思っている人は世の中の全ての物事が自分で何とかなると思っているのかもしれませんが、不可能ですよね。
人は出来ない事とできる事がある凸凹の関係があるから、支えあって協力する事ができるのです。
本記事では、根性論ではどうにも出来ない事もあるよという事について持論を書いています。
根性論ではどうにも出来ない事の方が多い。
根性論が好き嫌いはともかくとして、そもそも根性論ではどうにも出来ない事の方が実際多いと思います。
例えば、人と話すのが苦手な人に営業の仕事を与えても非効率ですし、出来ないのは根性がないからだ!と言われてもそもそもコミュニケーションが苦手なんだから無理だという場合もあります。
これは、料理が苦手な人の料理が不味いという事だったり、音痴な人に歌が下手くそと言っているような物です。
将棋やチェスでもそれぞれ駒の役割があって、横に動きたいんだけど!と思っても根性論ではどうにも出来ませんよね。
そういう特性があるから、出来ないという状態です。
これは、カードゲームやテレビゲームでも同じ事が言えて、例えばRPGのゲームなどでヒーラーに攻撃力が足りない!根性で何とかしろよ!といっても無理ですよね。
そもそも、ヒーラーは回復がメインですので、攻撃が目的ではありません。
これと同じ事がリアルでも結構あって、結果的に問題なのは根性論を唱えてくる人間がそもそも脳死していて駒を上手に使う事を考えていない事だと思います。
勿論、気持ちで負けていたら出来る事も出来ないというのも事実ではありますが、それでも出来る事できない事は世の中に存在していて、出来る事で上手に使っていくのがリアルゲームなのではないかと思っています。
人を駒扱いするのは良くないかもしれませんが、実際問題職場というのはそんな感じが多いと思います。
人にはそれぞれ性格やスキルといった特性を持っていて、それをどう上手に使って加速していくかが大事であって、根性論でなりふり構わず突破しようとするのが正解だとは私は思いません。
ココがポイント
根性論を使う場合は自分だけに使う方が良くて、他人に強要するのは大体良くない結果になると思います。
そもそも、根性論が現代に合っていない。
根性論が古いというのもとても理解できます。
これだけ科学が進歩して根拠がある物事が明確になってきました。
これは、効率的、これは非効率など色々な話が出てきているのでビジネスマンは結構認知している事が多いと思います。
要は、指示を出す側が根性論で唱えても、動く側も知識を持ってきているのでそれは非効率だ!と考えるようになっているのです。
それに、一人が色々な事ができなければいけないという風潮が日本にはどこかある気がして、アレもコレも資格をとらなきゃ!となっている人がいます。
確かに、色々できた方が理想的ではありますが、天才や相当な努力家でないかぎりは器用貧乏で終わってしまうと思います。
そうなってくると、ある程度の部分に特化した力を持っている人を、適した場所に配置する方が理想的であると思います。
というのも、昔と比べて情報の量と質が必要な部分が大きくなってきました。
物作りに関しても、クオリティの高い物を簡単に多くの人が作れるようになってきています。
この現状で、広く浅く貪ったところで価値がない物が生まれてしまうので、何かに特化していかないと価値がある物が生み出せなくなっているような気がします。
これを含めて、根性論でデザインが好きな人に他の仕事を任せたりとか、プログラミングが得意だけど初対面の人と話すのは苦手な人に営業もやらせるなどをしていると、時間の無駄使いになるのではないかともいます。
私は根性論が無駄だとは思いませんが、現代の人たちはもっと合理的でないと納得しない事が多いですし、もっとシビアにそれぞれの人間の特性を見極める事の方が大事なのではないかと思っています。
ココがポイント
根性論よりも合理的な思考の方が現代には合っている。
根性論でどうにか出来る事も確かにある。
根性論は悪なのか?と言われたら個人的にはそうは思っていません。
ただ、根性論は他人に与える物ではなくて、自分に与える物だと思います。
例えば、この仕事は終わらせる事は出来るけど時間が掛かってしまうな、これは徹夜だなった時に、そもそも気持ちで負けていたら徹夜しても終わらせる事ができないかもしれません。
実力的に出来る事であれば、何となかる!よしやるか!と自分を奮い立たせるのに使えると思っています。
これを他人に強要してしまうと、求めていないし、ウザいなど思われてしまうので、自分自身だけに使う方がいいと思います。
ただ、これは無謀な事を無能で根性論で突破するのではなくて、あくまで自分なりの予測で出来るんじゃね?と思った事に限ります。
できない事はできませんし、無理な物は無理です。
無理な事を可能にするなら根性論ではなくて、論理的にどうしたら解決できるのか?という方が正しいです。
目の前に包丁はありませんが、このじゃがいもを切ってください!と言われても手刀で切れるとは思いませんよね?
この時に、解決する方法は包丁を買いにいく事だと思うのです。
もしくは、包丁を借りてくるか、持っている人を連れてくる、包丁がある家にじゃがいもを持っていく自分だけの根性論ではどうにもできませんよね。
ただ、めんどくさい行動を根性論で突破する事は出来るので、自分の行動を押し出す役目は出来るのかもしれません。
問題解決の為には使えない事の方が多いですが、行動という単調な事であれば意外と自分だけの問題であれば使えるかもしれません。
ココがポイント
根性論は単調なことであれば使える時があるので、そういった時に自分だけに使うようにしましょう。
根性論ではどうにも出来ない事もあるよ【まとめ】
根性論が決して悪ではないと思います。
私自身も自分だけに根性論を使う時もあります。
大体、簡単なことだけど面倒と思ってしまう時に、負けちゃダメだ!やるしかないんだ!と思ったりする感じですね。
徹夜すれば何となりそうな仕事とかそんな感じです。
ただ、根性で世の中回っている訳ではないので、他人に使うのはあまり良くないと思っています。
あくまで自分に対して奮い立たせる為に使う方がいいのかなと思っています。
それでは、読んでいただいてありがとうございました!
DAISUKEでした。(@desing_d)
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