日記

頑張ったという言葉が余り好きではない理由【頑張っても結果が無ければ意味がありません】

2019年5月29日

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頑張ったという言葉が余り好きではない理由【頑張っても結果が無ければ意味がありません】

頑張ったから仕方ないなど、思っていませんか?

確かに頑張っても成し遂げられなければ仕方ないと思うのですが、では結果が出なければそれは頑張ったのか?と思う自分がいます。
そもそも論として、頑張る事は当たり前なんて言葉もありますし、私もその言葉はなんとなく理解できます。

大人になって思う事は、結果が全ての事が大半を閉めるという事です。
頑張っても、頑張ってもできなければ、結果軽蔑や邪険に扱われてしまう事もありますし、『なんであの人はこんなにも仕事できないの!』なんて怒っている人も見た事あります。
もしかしたら、本人は頑張っているのかもしれないのに、結果として出来ていないから=『頑張っていない』と思われてしまう。
そうなると、一番手っ取り早いのが結果を求める事で、『頑張った』という言葉はどこか感情論が混じり個々によって評価や基準が変わってくるので信憑性が下がります。
ですので、そもそも頑張ったという言葉は、自分自身で何かを達成して成し遂げた時に自分に送ってあげる言葉としてがいいのではないか?という話をしていこうと思います。
これもあくまで、私個人の意見ですので、世間の考えとは異なります。

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頑張ったという言葉が余り好きではない理由【頑張っても結果が無ければ意味がありません】

頑張ったという言葉が余り好きではない理由【頑張っても結果が無ければ意味がありません】

頑張ったという言葉が余り好きではない理由は以下の通りです。

ポイント

  • 頑張ったから許されるのは基準が曖昧
  • 頑張らずに出来てしまう人もいる世の中
  • 頑張ったは他人にではなく、自分に伝える言葉

以上になります。
それでは、詳しく解説していきます。

頑張ったから許されるのは基準が曖昧

頑張ったからしょうがいないよね。と自分で思っていても、上司などに怒られる事もあるでしょう。
なぜか『頑張った』=『凄い』みたいな考えがある人がいますが、頑張って褒められるのは子供のウチだけです。
大人になったら、結果が全てという記事をこちらで解説していますので、興味のある方は参考にしてみてください。
仕事は結果が出なければ、頑張っても評価はされない【大人になったら結果が全てです】

頑張る事は素晴らしい事ではありますが、多くの人が当たり前の様に日々頑張っています。
頑張ったとう言葉は結構曖昧で、毎日朝遅刻せずに起きれたというだけで頑張ったという人もいれば、このシステムを作り上げて頑張ったという人がいます。
圧倒的に後者の方が大変であると思いますし、頑張っている数値が存在するなら差は歴然でしょう。

頑張ったと自分自身で思う事は悪い事ではありません。
ただ、他人に『自分は頑張ったんです!』というのは少し違う気がします。
まぁ、その頑張った内容にもよると思いますが、基本的に頑張っただけだと曖昧なので、何を頑張ったのかというところが根本的に大切になってくると思います。

頑張らずに出来てしまう人もいる世の中

残念な事に、向き不向きは存在し、人は成長はしますが、その歩幅も人それぞれです。
例えば、自転車にすぐ乗れる子供と、乗れない子供がいます。
すぐに乗れた事もは頑張らずに乗れてしまいました。
乗れない子は頑張っても乗れません。

この様に、頑張らなくてもできる人。
頑張っても出来ない人とは存在します。
もちろん、得意不得意もあるので当たり前です。

何が言いたいかというと、苦手な事を頑張ってできる様になる事は良い事ですが、得意な人がいるのであれば任せてしまい、自分は自分が得意な物を頑張った方が、頑張った時間と頑張る内容の価値が高くなると思うのです。
仕事だと、苦手と分かっていて仕事を振ってくる意地悪な人もいますが、それを頑張っても頑張らずに出来てしまう人がいて、その程度の内容であるなら、他の得意な事の頑張らなければいけない水準を頑張った方が自分自身もレベルアップ出来ます。

頑張ったは他人にではなく、自分に伝える言葉

一番思うのは、頑張ったは自分自身のご褒美の言葉だと思っています。
頑張ったという言葉が余り好きではないと言ってたじゃん!と思いますが、自分自身が頑張ったと思うのであれば労いぐらい必要でしょう。

ただ、大人になると多くは結果が全てですし、そこで不満を垂れても結果が出ていなければ意味がいないというのも事実です。
ですので、いくら上司に怒られても自分は頑張ったからいいんだ!と思えるのであればその頑張ったは良いと思います。
しかし、結果が出ていないのにも関わらず『頑張ったからいいや』と自分に甘えるのは自分が成長しなかたりもして、難しいところです。
変に受け止め過ぎて、鬱になる場合もあるでしょうし、頑張り過ぎて体を壊す人もいるでしょう。
そうなったら、頑張った事が空回りして悪い方向に行ってしまうので、他人に流されるのはおすすめしません。

結果として、何が言いたいかといいますと。
自分自身で頑張ったと思う事は別にいいけど、他人の評価に自分の頑張ったという感情論を期待するのは間違いという事です。

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頑張ったという言葉が余り好きではない理由【まとめ】

頑張ったという言葉が余り好きではない理由【まとめ】

いかがでしたでしょうか?
もう一度簡単に復習しておきましょう。

ポイント

  • 頑張ったから許されるのは基準が曖昧
  • 頑張らずに出来てしまう人もいる世の中
  • 頑張ったは他人にではなく、自分に伝える言葉

とは言っても、私も凡人なので偉そうな事は言えないのですが、最近、頑張っているけど結果が出ないという人がいます。
それは、本当に頑張っているのか、頑張り方を間違っているのか、そもそも向いていないのか、など色々考える事が出てきます。

一番早いのは、自分は何が向いていて、何が嫌いかという事を具体的に自分を知っておくと探す事が楽になります。
余りそういった自分がわからないという人は、色々な趣味や、普段やらない事などをしてみると得意不得意が見えてきますし、友達や会社の人などから客観的に見た自分というのを考えて見る事もいいかもしれません。
もしかしたら、それは物を使った事ではなく、計算や、暗記、コミュニケーション、営業、発想、管理など色々な物があります。

頑張ったという言葉はあくまで、自分自身で思う事。
頑張ったは得意な事でやった方が価値が上がる事。
本気で頑張っている人は、あなたが遊んでいる時間も頑張っているという事。

その辺を考えてみてはいかがでしょうか。
それでは、読んでいただいてありがとうございました。
ダイスケでした。(@desing_d





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