My diary

私たちはただここに居る事だけで美しい

私たちはただここに居る事だけで美しい

はい!休日の朝の散歩が大好きです!
DAISUKEです!(@desing_d

はい、実はこのブログ土日は休もうかな?と思って休んでいた時があったのですが、日記テイストなら結構いくらでもかけるので、そういった鳥のフンみたいな物を置いて行こうかなとか思っています。
つまり日記ですね。

今回は『私たちはここに居るだけで美しい』という事。
散歩しに玄関から出た瞬間に何故かこの言葉が飛び込んで来たので、何処かで聞いたのか、前から思っていたのか分からないが、確かにと思ったのでこれをテーマに書いて行こうと思う。

私たちは、というか誰かと答え合わせをした事ないので完全に持論を展開する。
私が美しいと思う事は何だ?と思った時に、生きる事と死ぬ事そして尊い事。
言葉に出来る美しいはまだ昇天していなくて、言葉に出来ない事が本当の美しい。

そして人は生まれた瞬間には昇天するほど美しい。
そして生命を誕生させる事が出来る女性もまた美しい。

終わりがあるから輝いて、終わりがあるから生まれる物がある。
なんでこんな世の中なんだ!とか言ってもこれは自然の摂理なので『そういう物』として捉えるしかない。
なんで、人間は酸素がないと生きていけないんだ!なんで、人間は食べ物が必要なんだ!と考えても仕方ない。

本来、私たち人間はここにいるだけで美しい。
しかし、生きる過程で汚れてしまったり、もっと輝いたりもする。
人間も自然の一部であるから、ただある事で美しいはずなのに、欲望などを制御出来ないで堕落していく。

今回は、特別な事がなくても、みんな居るだけでいいんだよという事を書いて行こうと思う。

ここに居るだけで良い

ここにいるだけと言われるとよく意味が分からないと思えるが、実際そのままだと思う。
何かしなければいけないというのは社会のルールで、自然のルールではない。
自然のルールがあまりにもフリーダムだから、社会のルールがないと人間は纏まらない。

ここに居るだけでいいというのは、この世に生まれた瞬間から許可されているので、別に自分なんかダメだ、とか自分なんか詰まらない人間なんだとか強く思う必要はない。
そして逃げたければ逃げればいいと思う。世界は広い。
私は日本語しか話す事が出来ないし、海外に行った事もないので分からないが多分アフリカに置き去りにされたら必死で帰る方法を探すか、その場で生きる手段を探すだろう。

逃げるという言葉はそれほど好きではなく、単純に生きる術だと個人的には思っている。

戦略的撤退というのが存在するのに、突っ込んでいかなければいけないのか。
全くもって私には理解出来ない。

私という世界を見ているのは、私なのだから私が見たい景色を求めるのが真理だと思う。
勿論、私たちは法治国家の元で生きているからその制約の中で思考を具現化させていく事が大事である。
最近は何となく未来ばかり見ている内容が多いなとよく思う。
でも、未来って今の積み重ねであり、今がないと未来ってないよねとも思う。

勿論頭の良い人は、先を見ていくべきだと思うけど、頭がいいっていう言葉がある以上よくない人もいる訳で、そういう人からしたら不安を仰ぐ様な書き方をされているセールスを見ると不安で未来しか見えなくなる様な気がする。
個人的には未来も大事だけど、一番大事なのは今であって、その積み重ねが未来であるから今を乗り越える手段がソレであるなら、使えば良いと思うし。自分が描きたい未来に必要ない物には攻撃するではなくスルーや無視する事が大事である。

 

 

 

 

私たちの時間は命です。

 

 

 

 

仕事して得たお金も私は命と思っています。ツールでもあると思っていますが、自分の時間を割いて作ったお金です。
人の価値はお金ではないかもしれないが、目視で判断できる様にするにはお金で見た方が早いし、実際に正解資本主義でもあると思うし。
特に、無駄だなと思う事をしている人を見ると、パワーの無駄遣いとも思ってしまう。

何故、ただそこに居るだけで美しいはずなのに、自ら泥水を被り、自分を傷つけてまでも存在を主張するのか。
誹謗中傷は自傷行為にも似ていると思ったりしている。
言った言葉はそのまま自分の潜在意識に刻み込まれるし、少しでも善意がある人はその人がもし亡くなってしまったらもう謝る事もできないから一生苦しむ事になるだろう。

こういった物を持ってしまった人は世界が地獄になるのだろうと思う。

描きたい世界を目指す事

そこに居るだけでいいけど、人間て思考するからどうしても動いてしまう。
動いた先が良いのか悪いのか、それは動いてみないと分からないし、時代でも違うし、環境でも違うから複雑なものだから自分で考えて欲しい。

ただ、サイコパスでない限りは生まれながら悪意の塊という人はいないと思っている。
サイコパスであっても、自分の中では善意なのかもしれない。
なんか面倒な内容になりそうだから、これはまぁいいや。

他人の人生どうこうはどうでも良くて、自分の人生を生きてみたら?とよく思う。
自分って何が好き?何が嫌い?何が得意で、どういったタイプの人が好みで、どの景色が好きで、どの色が好きで、どういった服を着てみたいとか。そして

 

 

 

 

どう生きて、どう死ぬか

 

 

 

これを常に考えるべきだと思っていたりする。
これはnotoにも同じを事を書いたが、やっぱりここにたどり着く。
どうやって生きて、どうやって死にたいかこれがわかれば自ずと今の生き方が見えてくる。
その過程で、他人を陥れたり、傷つけたり、後悔したり、する事もあると思うけど、それを許す訳ではないがそれもその人からしたら人生の糧でもあるのだと思うし。
生きる事を考えがちだけど、私たちは最後は死ぬんだからその時に最高に気持ちいのが一番いいのかな?とかポジティブ目線でおもっていたりする。
終わり良ければ全てよしという割には、人間は死ぬ事から目を背けすぎている様な気がする。
自分は死なない物と思っていたり、好きな物すらない人もいる。
まぁ、それは個人の自由だから構わないのだけど、やはり始まりと終わりがあるから美しいのだと思う。

この答えは、他人に聞いても分からないし、自分の中にしかないと思うし。
人生を経験する事で常に変わっていく事だと思うし、これを考える事は修行だと思うし。

ただ、そんな風に必死で生きている人は刹那的で美しくて尊いなとよく思うのです。

偉そうに書きましたが、私自身まだ全然見えていない問題です。
そうかもしれない、でも違うかもしれないその葛藤の繰り返しです。

みなさんも、自分の世界を描いて行くのを初めてみませんか?
願いを紙に書き出して進んでみましょう。

人の数だけ世界はあっていいのです。

少しでも、みんなの世界が彩られますように。
明日天気になあれ〜
DAISUKEでした。(@desing_d

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